鳥取城跡:久松山

久しぶりに城跡巡りに行ってきました。

鳥取城跡本丸へは標高263mの久松山を登ります。
いくつかある登山ルートから今日は県立博物館が玄関口となる中坂道から登りました。


入口の西坂下御門をくぐると二の丸跡が目の前に広がります。

ここは、元姫路城藩主池田光政が鳥取城藩主となった際に大改築が始まりました。この時、光政の祖父・池田輝政のもとで姫路城を築いた職人たちも鳥取へ呼び寄せ改築を命じました。今に残る城跡景観の基礎となり、同じ職人により再整備された鳥取城が「姫路城の弟城」と称される由縁であり親近感が湧きます。
また、270年余りを費やして段階的に整備された鳥取城は、圧倒的な石垣の量と多くの素晴らしい遺構から「城郭の博物館」とも称されます。
とくに、ここでしか見られない“巻石垣(天球丸跡)”はマニア心を鷲摑みします(笑)


1807年の復旧時に、孕み出した石垣を抑え込むために河川の制水施設や護岸に用いられた石垣の技術が用いられたと考えられています。亀の甲羅状に丸く積み上げられた石垣がどこから見ても美し過ぎて溜息がでます。上からも下からもとあらゆる角度から堪能しました。

今は素晴らしい石垣を楽しめる鳥取城跡ですが、「鳥取の渇え殺し」と云われる壮絶な籠城戦の歴史舞台でもあります。戦国時代、織田信長軍の羽柴秀吉が、吉川経家が籠城する鳥取城に大包囲陣を敷き、救援と食料網を絶つ徹底した兵糧攻めをおこないました。
兵糧攻めが2ヵ月、3ヵ月と続く内に鳥取城内の食料は尽き、ついには人肉を食べるという地獄のような状態となり、吉川経家は意を決し羽柴秀吉に降伏し、自身が自刃することで兵と民の命を救い35年の生涯を閉じました。県立歴史博物館に残る4人の子供達への遺書を読むと込み上げるものがあります。

ほとんど整備されていない急勾配の真夏の登山。覚悟していたもののかなりきつかったです。40分ほどでなんとか登り切ると広く平坦な山頂に本丸跡が現れます。この地形の良さと急峻な立地から極めて高い防御性を兼ね備えている「日本(ひのもとに)かくれなき名山」の云われを実感しました。

 



本丸跡に立ち、そこから望む風景は格別です。かつてとほぼ変わらない山や空を眺め、砂丘や日本海やそこに浮かぶ島々を望み、様変わりした街並みから城下町を想像し、この町に生きた城主や民を想うほどに果てしない浪漫を感じ、感慨深さで胸がいっぱいのなんともたまらない気持ちになります。とくに山城は登山の苦しさも帳消しとなる達成感や爽快感もプラスされるのでやめられません。
あぁ、やっぱり私は城が好きだ。

登山中は蚊も多くじっくり止まれなかったのと、花も咲いてなくて鬱蒼とした道中だったのとで、あまり植物をじっくり見れませんでした。シダ・キノコ・苔・山陰らしくツバキ科の植物も多かったです。


下山後もうひとつの見どころの仁風閣も見学。宮廷建築の第一人者である片山東熊のフレンチ・ルネッサンス様式の素晴らしい建築物。その重厚で気品のある雰囲気は私のストライクゾーン!池田家の多くの遺品や資料も素晴らしかったです。100名城スタンプと御城印状もコチラにあります。そしてこの場所は“るろうに剣心(第1作2012年)”の撮影にも使われた場所でもあります。その当時の撮影の様子のパネルが今春から公開展示されています。佐藤健さんの等身大位の大きなサイン入りパネルもありました♡


その後は、海の幸や白桃パフェを堪能したり、大きな大栄スイカはお土産に。
美味しい鳥取も楽しみました♩

 

 

【鳥取城 -久松山- 】
所在地:鳥取県鳥取市東町
標高:263m
城地種類:山城